家庭ごみ有料化は「お金」の問題ではない―東京23区が直面する処理の限界
家庭ごみ有料化をめぐる議論で、いま本当に向き合うべきこと
家庭ごみの有料化をめぐって、さまざまな意見が出ています。の中には「東京都には十分な予算があるのだから、有料化などせず税金で賄い、家計に還元すべきだ」という主張もあります。
一見もっともらしく聞こえますが、この議論は、東京23区のごみ処理が直面している本質的な課題から目をそらしてしまう、極めて危うい論理だと考えています。
問題の本質は「お金」ではなく「物理的限界」
家庭ごみの有料化によって排出量が減ったとしても、新海面処分場や最終処分場の物理的な限界そのものを永久に解決できるわけではありません。
しかし、より深刻なのは「最終的に解決できるかどうか」以前に、処理能力を超えた瞬間に何が起きるのかという点です。
東京は過去に、処理能力が追いつかず、ごみが街中に滞留する事態を経験しています。1970年代のいわゆる「東京ごみ戦争」です。当時の問題も、財政ではなく、処理能力という物理的制約でした。
「最後の一画」に依存する東京の現実
現在使用している新海面処分場は、航路確保や環境保全の観点から、これ以上拡張できない「最後の処分区画」です。容量の限界は、すでに現実的に見通せる段階に入っています。
さらに、新江東清掃工場の規模縮小や大田第二工場の廃止が進む一方で、新たな清掃工場の建設計画はありません。23区全体の処理能力は、むしろ物理的に縮小していく局面にあります。
つまり、どれほど潤沢な税収があっても、東京湾の容積を増やすことはできないのです。
有料化の目的は「財源」ではなく「行動変容」
家庭ごみ有料化は、問題を一気に解決する魔法ではありません。しかし、その目的は財源確保ではなく、住民一人ひとりの意識と行動を変える「行動変容」にあります。
有料化を先行して導入している自治体では、排出量が全国的に見ても低い水準に抑えられており、その効果は実証されています。
「袋代を払いたくない」という心理的抵抗があるからこそ、分別が徹底され、減量に真剣に向き合う動機が生まれます。
無料で出し放題の環境では、この抑制力は期待できません。
「無料であるべき論」が見落としている構造的問題
「無料であるべき」という主張は、自区内に清掃工場を持たず、他区に処理を依存している区の立場から語られることが少なくありません。
しかし実際には、23区最大級の焼却能力を持つ新江東清掃工場や、中防での埋立という「23区のごみの出口」を担っているのは江東区です。
自分の区で処理できないごみを他区に依存しながら、費用の議論だけを強調することは、
処理を担う地域住民の理解を得られるものではありません。
いま求められているのは「時間を稼ぐ選択」
率直に言えば、現時点で「これさえやれば最終的にすべて解決する」という決定打は存在しません。
だからこそ重要なのは、問題を先送りして再び街中にごみが溢れる事態を避け、排出量を抑制しながら、次の技術革新や制度転換が実装されるまでの時間を確保することです。
完全循環型社会の実現も、新たな処理技術の社会実装も、いずれも時間と社会的合意を必要とします。最終処分量を管理可能な水準に抑え続けることは、その前提条件です。
ごみは「消える」のではなく、どこかで処理されている
ごみは、清掃車で運ばれてどこかに消えているわけではありません。23区から出たごみの多くは江東区に運ばれ、燃やされ、埋め立てられています。
そして、焼却にも埋立にも、明確な限界があります。
ごみを減らさなければ、23区のごみを23区で処理できなくなる未来は、抽象的な仮定ではなく、現実的に見通されている将来です。
次世代に責任を持つ選択として
目先の袋代を税金で補填することよりも、「ごみを出す側にも責任がある」という意識を全区民で共有すること。
それこそが、持続可能な23区を維持し、次の世代に責任を果たすための、誠実な選択だと考えています。
投稿者:江東区議会議員 中島雄太郎